2014年3月25日火曜日

京都大学 今久保幸生 経済学研究科教授 最終講義をYoutubeで聞いてみたり

あれだね。
敗戦後のドイツがどれだけひどい目にあったかという話。
戦争に負けるとその国の国民がどれだけ悲惨な目に合うかってことがよくわかる講義。

まっとうに商売をしてる人でも敗戦国の人間だというだけでひどい目に合う。

今の日本だと中国の脅威なのかな。
まあ今とは時代が違うんだろうけど。

特に閲覧数も伸びてないブログだし今のところ書く中身は気にしていない。


Prologを近所の図書館で検索したら一つも出てこない。
Prolog関係の本は日本語で読める名著はどれもプレミアがついて古くて高いのでネットでは買いづらい。
マサチューセッツ工科大学の Prologの技芸 。
あれはいまだに名著らしいのだがどうなのだろうか?
英語版はもってるが英語読み解く気力はない。

マサチューセッツ工科大学はプログラマ業界にとっては総本山な大学。
普通のプログラマが使ってるプログラム言語は結構ここが源流とおもって結構間違いない。
なので押さえておいて損はないはずなのです。
Curlみたいなはずれもあるけれど。
Lispみたいな時代の先取りしすぎな言語もある。

Prolog言語はフランス生まれですが、一応米国が策定したプログラマ養成規格で論理型言語教育選択肢のひとつとしてあげられているので世界で見れば多少は学んでる人もいるはず。


とりあえず姫路図書館で検索したら何冊か出てきた。
明日ドライブもかねて朝一で読みに行こうかな。
図書館で読むと不思議と集中力上がるんだよね。
姫路の図書館でも数冊しかでてこないというのがProlog言語の日本での地位がわかる厳しさ。

2ちゃんのプログラマ板ではProlog専業で食ってる会社が日本では一社しかないという噂がちらほら、Prolog弱い、弱いですよ。
趣味の言語ですねこれ。

まあ配列ないし破壊的代入ないし扱うデータが大きくなるとテクニックを駆使しまくってもあっというまにメモリを食うし致命的に遅いしC++のコンテナに当たるものがないし。
論理型言語なので基本的な活動範囲が狭い。

実用的なソフトを記述するには述語が数十万いるという意見が。
述語数十万定義って管理が大変そうだしわかる人が少ないとなればますます端っこに追いやられるか。

黒板の上ではよく機能する。
というジョークはLispだけの専売特許ではないですね。

新しいものと古いもの

古いものは好きだ。

とくに古い本。
漢文は読めないけれど。
昭和や大正くらいの本ならもうすこし読みたい。

ドグラマグラは作者が文体で読者をもてなそうというサービス精神を堪能できて好きだった。
ジョージオーウェルは私の青春だ。
彼の作品1984は20世紀のシーラカンス、一度は読んでみるといい。
人が人を支配する原理とはなにか、そんなことを考える石段の一つになる。

SF作家イーガンのめくるめく宇宙創造テクニックには憧れる。
コンピュータに興味を持ったのは彼の作品による。

写真集も好きだな。
鳥瞰写真は大好きだ。
グーグルアースは地形が荒いのでどうも好きになれない。

細かい部分をいくらでも見てられる写真のほうがずっと楽しい。

写真というものは不思議な力がある。
細かく見ると新しい発見がいくらでも出てくる。
だから僕はいい写真を見ると数分見入ってしまうことがある。

タイヤの音を聞いたことはない

私は聞いたことがない。

タイヤの音を聞いたことがない。
タイヤの音は耳に入ってるのだが車好きのようにタイヤの良さを耳でききわけたことはない。

スムーズなエンジン音は好きだな。
音がきれいだってことはメカニズムに軋轢がないってこと。
エンジンはゆっくり吹かすのが好きだ。
エンジンは機嫌いい音を立てる。
好みだ。

私もプログラムを書くときはこんなスムーズなコードを書きたい。
パソコンのファンがなってCPUが100%稼働になるコードなんて書きたくはない。

いつもスムーズにエレガントに。

世の中NP困難なことが多いけれど、できるだけきれいに解きたいものである。

人生もプログラムもね。

空から色が落ちてきた


空から色々な色が零れ落ちてきました
夕焼けは引き延ばされた大きな虹。
夕日に背を向ければ空に紫が見え、夕日に目を転じれば夕焼けのオレンジ色。
オレンジの上には薄い紅色が重なって。

夕焼けというのは全天規模の虹なんだなと思うのでした。


ここは堀江伸一さんの日記です。

2014年3月22日土曜日

Yahoo知恵袋で今日こんな返答を書いてみた

雑談カテでみつけた投稿
休日の雑カテはにぎやかなような気がする(´・ω・`)




そう、ざわついている。
潮の満ち引きのように。
現れては消えていく。
コメントは月の満ち欠けのように規則正しく現れては消えていく。
現れては消えていく。

太陽のように暖かいコメントを見つける。
月のようにひややかなレスを見つける。
行き詰ってる人を救う答が出揃う。

知恵袋は今日も平常運転。
私は今日あなたを見つける。
貴方は今日私を見つける。
ここで貴方は貴方を見つける。













返答記述者 堀江伸一

2014年3月18日火曜日

中二病病状経過5日目その4

Gameで大事なのは

初期値鋭敏性。
カオスアトラクター
の二つだ。

初期値鋭敏性というのは例えばこんな感じだ。

直線に進む弾を遠距離で当てる。
遠くに行くほど比例的に誤差が拡大する。

簡素なシミュレーションの車の動きで、旋回時の回転速度が人間に制御困難な速度に上がりその時のシビアさがゲーム性を生み出す。

上記二つはよく似ている。

大事なのはどちらも制御がしにくくなるシステムをどこに作るかということにある。

旋回時、時間とともに旋回が激しくなり少しの操作ミスで誤差がでる。
射撃時 距離とともに着弾点が大きくずれ少しの操作ミスで誤差が出る。


両者は同じ文法で表現できた。
よく似ているだろ?

こういうゲーム性は誤差の制御に根差したゲームで少し底が浅いがわかりやすい。


もう一つのカオスアトラクターというのはこういう感じだ。

任天堂のマリオカートは
一回のドリフトがマンデルブロー集合を生み出す複素数の回転拡大操作と同じだ。
微調整として平行移動するドリフト内側に回るドリフトで
複素数の拡大するか縮小するかと似ている。
最後のミニターボはマンデルブロー集合の写像の定数を足す操作に当たる。


うまくなるほどドリフトが長く連続で繋がる。
ドリフトでコーナーからコーナーへ動くときどこをどの向きで動いてるかは制御可能なパイコネ写像と似たような様相を呈する。
いくつものコーナーにこれ横切る線をひいて、ユーザーのカートが線を横切った時どこを通ったかを記録すればパイコネ写像的なものが出てくるだろう。


問題はユーザーに見えない形でパイコネ写像やカオスアトラクターをゲーム性にいかに組み込むかということだ。

ゲームの結果の制御が簡単だがスコアやタイムが伸びない動きと、カオスアトラクターやパイコネ写像的な制御が困難だがうまく制御できると高いスコアを期待できる操作系。

これを上手に組みあわせて一つのゲームにできるといつまでもあきない操作性が作れるはずなのである(操作性であってゲーム性ではないゲームは多くの価値観で作られるべきだからだ)。

しかし私は無学、中学以上の教育はほとんど受けておらず、ゲームつくりの流れみたいなものをだれからも教わったことがない。
そのためにGameなんぞいつまでたっても作れないのである。

だから理論も実践もないためにいつまでたっても話に進歩がない。

日記記録者
堀江 伸一

中二病病状経過5日目その2 ゲームでも作ればいいのか?

ゲームつくり
普通のゲームを作っても世にある無数の同人ゲームに勝てるわけもないので
きわどいゲームを作ってみたい。


例えば集まってできるソーシャルゲームでゲームを効率よく進めるための会話が展開されるのでなく。
何か人間性豊かな会話や雑談の種が発生するようなゲームを作りたい。

トモダチコレクションや地理情報ゲームのような方向性だろうか?
よくわからないが何かリアルとつながる感じのゲームがいいな。

ゲームを遊んでいて、ふとゲーム内に出てきたものが話題に上ってそこからプレーヤに雑談が発生するゲーム。

このゲームを遊んでると知らず知らずのうちに雑談が発生してる。
そんなゲーム。

他に寝る前に遊ぶと心が落ち着いて快眠できるゲームとか。


マリオパーティなんかは盛り上がるという点で尊敬すべきゲームだ。
最新作のCMは最悪のセンスだったが。


まあどうせつくるなら、そんなゲームを作りたいものである。

と言ってもボッチ人間の僕に作れるはずもなく。
心理学者や集団遊びのインストラクター的な人にゲームを作らせたらどんなものができるだろうか?
みたいな感じで空想を膨らますばかりである。


















うーん数学が難しい。
学校教育はほとんど受けてない。
本だけで数学を学んできた。
だから授業を受けてない内容(ほとんどが受けてない内容だ)については浅くしか理解していない。

数学だって問題を解くときは公式を丸暗記して適用していただけのようなところがある。
公理 定理なんて体系だった教育は受けたことがないからそういう本は苦手だ。

教育を受けたことがないから連分数やペル方程式は考え方そのものがよくわからない
微分方程式なんてさっぱりだし微積分は丸暗記ですぐ忘れる。
数学のモノグラフシリーズをやり直しているが、自分がどれだけ浅くしか理解してなかったかを今さら思い知っている。
意味を深読みし始めるといかに多くの意味を理解してなかったかが見えてきている。
そうすると一日数ページしか勉強が進まない。





















アニメ曲の
ヘミソフィア
典型的オタク歌なんだけど
なんかかなり心に響く。
俺がオタクだからか、曲と声がいいのか。
曲と声がよすぎるんだよなきっと。



中二病病状記録5日目 来世はあるか

来世はあるかという質問がYahoo知恵袋にあった。

私はこう考えた。

まずは質問者の言葉を並べ替えて遊んでみた


来世は自分なのにどうして違う人とわかるんですか?

自分の来世なのに違う人ってどうしてわかるんですか?

自分とは違う人なのに来世はどうしてわかるんですか?

どうしてわかるんですか?来世は違う人なのに自分とは。

なるほど同じ単語を発しても語順で印象が全く変わるものだ。
全く持って難しい問題だ。
来世なんてない。
そんなものはない。
あるかもしれないが確認方法がない。
無かったときに備えて悔いのない人生を送りなさい。
来世があったらあったでその時になって考えたらいい。

明日のことは明日に任せよ。
人は今日を生きるのだ。

2014年3月14日金曜日

中二病病状経過その4

中二病病状は安定状態


地元の加古川図書館と加古川中央図書館では品ぞろえが違うなと実感。

数学の棚を見ても。
高校レベルから大学レベルまで階段状に本がそろっていて
自分のレベルにあった本を読めば何か段を上るように数学の勉強が進みそうな感じがする。


加古川図書館では断崖絶壁。
岩波の数学大辞典は分厚く本棚を埋めてそれだけで一角をなしているし。
箸にも棒にも引っかからないひどい一般向け書籍がその隙間にすくっている。

高校レベルから大学レベルの階段たりえる本がいたるところで断絶していて。

あの本を読めばこの本が読めそうだという感じが全くしない。


中央図書館は違う。
かなり充実している。
選書がうまい。

問題は私の知識へのアクセス手段。

私は子供時分は知恵遅れ。
中学高校時代は軽い認知症に似ていた。
青年期は前頭側頭葉認知症の症状が当てはまった。

なので中学以上の教育はほとんど受けてないも同然。
大人になって、情緒面が悪化した代わりに論理的思考力が回復してきた。

その後、勉強は本だけでしてきた。
痛感するのは本だけでは至る所限界があるということ。
本は高いし、実験や研究なんてものは一人では学べない。
授業や教育を前提に教育書というものは書かれていることが多いので、独学者を想定してなくて至る所端折られている。

図書館は私にとって知識へのアクセスを支える唯一の土台なのだが一番近所の図書館は私が知識を増やすのに不足、蔵書の質は私向きではなく量も足らない。
この感は否めない。

中央図書館で十分かといえばそうでもない。
やはり大学レベルの本などは手をとっても何の役に立つのか何が書いてあるのかさっぱりわからない本だらけだし、もしわかる本でも一般向けで中身を薄くして毒にも薬にもならぬことが多い。

というわけで私は勉強というものはどうやったらいいのか全く分からないのである。


図書館で、素数夜曲を見つける。
日本の教育現場では日当たりの悪い整数論。
独学者を想定して書いたというだけあって独学者が何に困難を感じるかよくわかってる感じである。
問題はまだ初めのほうしか読んでないので結局毒にも薬にもならない本なのか。
もしかしたら一人でも勉強ができる本なのか見分けがつかない。
前半はすこし内容が薄すぎる気はする。

2014年3月12日水曜日

中二病病状経過3日目


中二病心をくすぐられる作品

中二病病状 良好に悪化中



http://www.nicovideo.jp/watch/sm19347846
セルオートマトンによるライフゲームの楽しみを心底理解させてくれる動画。
ニコ動ユーザーによる野生のNHKという分類はだてではない。


https://www.youtube.com/watch?v=Hs9wLoxz03E
とにかく英語がわからなくても笑える作品。
人食いトマトと人類の壮絶wな戦いを描いた作品。
これで笑わなかったら人ではない。
問題はこんなくだらない作品が1時間以上あるって点位?



http://www.fknews-2ch.net/archives/33599818.html
半分は嘘で半分は本当の2ちゃんねらの生活レベルがわかる纏め記事
私のご近所の創価学会員さんは2ちゃんねらは全員負け組だと思ってるのでこの手の話は信じないだろうけど。
ちなみに私は2ちゃんねらも創価学会員もきらいだ。
どちらも知能障害に対する差別意識やいじめ意識や優越意識の高さが似ているから。


しかしわがブログながら今書いてて思うのだがすごいなこのブログ。
日々中二病ブログ閲覧数が2014/3/148時57分時点でブログ全体の閲覧者数0。

普通は変な検索で偶然訪れる人が一人はいそうなのにいまだ閲覧数0.
どうやって閲覧数をのばしたらいいのだろうか?

他で書いてる「どうでもいい雑記」ブログ
唯一合った閲覧数はアメリカとヨーロッパからの2件だけ。

2014年3月11日火曜日

中二病病状経過2日目

中二病病状経過

状態 良好に中二病へ向かって前進中


中二病から見た世界。

世の中には明るく楽しくを常に志向する人間と、穏やかにゆったり相手と相互理解したい人間がいる。

明るく楽しくというのはまことに結構なことで耳触りがよく聞こえるだろう。

問題は彼らの態度なのである。
楽しい以外の状態になったらいきなり烈火のごとく怒り、あいつはいけてないやつだとい仲間外れやいじめを始める。


つまり。
市民 私は幸福ですを周りの皆に強要してる。
彼らは楽しい以外の状態に対するストレス耐性が異常に低く思える。
楽しい以外の心理も人生経験と楽しめる、わびさびの精神が弱い。

それと楽しいというのも存外問題で、実は人間楽しいという感覚が長時間続くとそれがストレスや疲労になる。

またそういう盛り上げ役の隣にいると、楽しくても楽しくなくてもあわせなくてはいけない。
楽しいという感情に無理やり自分をあてはめて、無理やり自分の感情以外のものに長時間心理状態を摺り寄せるという恐ろしいストレス遊びにつきあってるわけである。

こんなことを書いたのは。
俺たちすげえ楽しいぜ、リア充だぜという男女4人組がマクドナルドで会話してて。
一見楽しそうに盛り上がってたのだが。

男性2人が立ち去った後、女性がいきなりムカッとしだして、あいつらに合わせるの疲れる。
などという趣旨のことをいったからである。

そういうことも世にはあるのだと思った次第。

















もう少しきつい書き方をしてみよう。
明るく楽しい以外の心理状態や状況の趣を楽しめないという知能欠陥。
そういうものが明るく楽しく派にはあるのかもしれない。



明るく楽しくを常に強制する独裁者がいて、それから外れたら制裁を食らうとしよう。
そんなのは北朝鮮じみてるが、明るく楽しく人間はそういう独裁者に似ていることがある。
人間なんだから色々な心理状態をへて日々を過ごすのが普通だ。

それなのに明るく楽しくの心理状態に常にセットしそれ以外の心理にするなと彼らは圧力をかけてくる。
これはつらいしかなり不自然だ。
多様な心理状況を自然に移り変わるのが人間性というものだろう。


色々な状況や心理状態を楽しめる知能を持ってるということは大人にとってはたぶん重要なことのはずでこれを通過できないと大人にはなれない。


もちろん明るく楽しくへ状況を持っていけない根暗人間というのも知能欠陥なのだろう。

どちらも知能欠陥があるような感じがする。

結局バランスよく生きるのが一番に思える。

中二病病状経過その1

このブログは中二病病状経過を日々克明に記録するブログです。


今日の中二病病状記録
分類 書きかけの創作物

大カテドラルへとはるか高みの空から光が降り注いでいた

そこは虚次元空間にあるカテドラル。
尖塔にの上に尖塔が重なり回廊は尖塔を取り巻きつなぎ無限の高さにまで届いている。

カテドラルの無数にある窓へ光という光が虚空の空から差し込んでいる。
空の永遠の相の元雲が固定されている。

光はカテドラルに近づくと虹色のシャボンと変じて床や壁や屋根に当たっては虹色の放射となって消えてる。
シャボンはゆらゆら揺れながら、紫や青やカテドラルの灰褐色を映し出しては割れて光となって蒸発する。
この空間では光はよりエネルギーに近い姿を確認できる。

カテドラルの尖塔には太古の戦いで争った天使や悪魔たちが石の彫像となって尖塔のそこかしこに形をとどめていた。
天使は鎧や剣を手に持ち、悪魔は槍を片手に爬虫類の鱗と蝙蝠の翼を背に永遠の相の元互いに相対していた。

上を見上げると陽光は無限のかなたから降り注ぎ永遠の青空が続ている。

一人の僧侶が大カテドラルの中を歩いていた。
彼の専門は神学で無限に広がる大カテドラルの中に拠点を構えている。
世に全く知られてない神学者グループの一員で、この虚数空間の存在に気づきグループで組織的にカテドラルを調査しているのだ。


拠点には最低限のものが置かれている。
調査結果の記録のための機械式のタイプライターにマッチ。
この空間と地球を往還するための手順を記した古文書の写し。
カテドラル探索のための水袋や乾燥食料、カテドラルが夜の時間になった時のための暖房用の石炭とストーブ。
昼には天使の一群がカテドラルのアーチ屋根の下を飛びどこかからどこかへ向かうさまを見ることができる。
彼らの機嫌がよければ、なぜ無限のかなた。
はるか未来に存在するこの空間で悪魔と天使の戦争が起きたのか。
それはどの様な戦いだったのか。
人類は未来においてどの様な歴史をたどったのか。
そのような話を聞くことができた。

カテドラルの夜は天使たちが姿をひそめ悪魔たちが徘徊する時間になる。
その時はカテドラルの片隅に確保した狭い部屋に閉じこもり扉を決してあけてはならない。