2014年3月14日金曜日

中二病病状経過その4

中二病病状は安定状態


地元の加古川図書館と加古川中央図書館では品ぞろえが違うなと実感。

数学の棚を見ても。
高校レベルから大学レベルまで階段状に本がそろっていて
自分のレベルにあった本を読めば何か段を上るように数学の勉強が進みそうな感じがする。


加古川図書館では断崖絶壁。
岩波の数学大辞典は分厚く本棚を埋めてそれだけで一角をなしているし。
箸にも棒にも引っかからないひどい一般向け書籍がその隙間にすくっている。

高校レベルから大学レベルの階段たりえる本がいたるところで断絶していて。

あの本を読めばこの本が読めそうだという感じが全くしない。


中央図書館は違う。
かなり充実している。
選書がうまい。

問題は私の知識へのアクセス手段。

私は子供時分は知恵遅れ。
中学高校時代は軽い認知症に似ていた。
青年期は前頭側頭葉認知症の症状が当てはまった。

なので中学以上の教育はほとんど受けてないも同然。
大人になって、情緒面が悪化した代わりに論理的思考力が回復してきた。

その後、勉強は本だけでしてきた。
痛感するのは本だけでは至る所限界があるということ。
本は高いし、実験や研究なんてものは一人では学べない。
授業や教育を前提に教育書というものは書かれていることが多いので、独学者を想定してなくて至る所端折られている。

図書館は私にとって知識へのアクセスを支える唯一の土台なのだが一番近所の図書館は私が知識を増やすのに不足、蔵書の質は私向きではなく量も足らない。
この感は否めない。

中央図書館で十分かといえばそうでもない。
やはり大学レベルの本などは手をとっても何の役に立つのか何が書いてあるのかさっぱりわからない本だらけだし、もしわかる本でも一般向けで中身を薄くして毒にも薬にもならぬことが多い。

というわけで私は勉強というものはどうやったらいいのか全く分からないのである。


図書館で、素数夜曲を見つける。
日本の教育現場では日当たりの悪い整数論。
独学者を想定して書いたというだけあって独学者が何に困難を感じるかよくわかってる感じである。
問題はまだ初めのほうしか読んでないので結局毒にも薬にもならない本なのか。
もしかしたら一人でも勉強ができる本なのか見分けがつかない。
前半はすこし内容が薄すぎる気はする。

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